type
Post
status
Published
date
Jul 31, 2022
slug
summary
徳島神山町へ旅する経験に基づき、大埜地の集合住宅を分析する。
tags
Space Design
日本語
Architecture
category
Inputing
icon
password
Property
Jan 3, 2023 07:52 AM
大埜地の集合住宅を見学しに、私は7月27日〜7月29日を渡って徳島神山町へ行った。その時たくさん不思議な縁に恵まれた。ちょうど神山町役場の集合住宅の担当者だったゲストハウスの宿主Kさんが計画時の話をたくさんしてくださり、ゲストハウスに一緒に泊まった方の息子の友人Oさんがちょうどシェア部分に入居中で、内部まで見学させていただいた。帰る直前に寄ったコモンハウスで第一期入居者のNさんの手作りワークショップも参加させていただいた。その方々の話と私の体験に基づいて、大埜地の集合住宅について述べたいと考える。
課題と敷地について
21世紀初頭、徳島県神山町は一時「消滅可能性都市」のリストにも載ったことのある、人口約5,000人の小さなまちである。2008年から「イン神山」計画を筆頭とするIT企業のサテライトオフィスの建設やアーティスト・イン・レジデンスの活動など、学校の魅力化と人口の増長が実現できた。しかし、問題の町の高齢化がまだ未解決である。それの原因は、子育て世代向けの住宅と施設の欠落にある。町域が広いため、保育所や学校から家に帰ると近所に同世代の子どもが少なく、育ち合いの機会を逸しかねない環境になっている。また、移住する子育て家庭を迎えたくても、もともと町には空き家が多くない上、改修しないと住めない家ばかりだ。
それらの問題に直面し、2015年、神山町は「まちを将来世代につなぐプロジェクト」を策定した。神山つなぐ公社を立ち上げ、役場の担当と両輪でまわしていくことを決めた。その重要な施策のひとつとなったのが、子育て世代を軸とした「大埜地の集合住宅」の開発である。将来世代に繋がる人々が人生のある時期を暮らし、新しい兄弟関係や隣人としての関係性を育み合える場として機能を発揮することを目標としている。
大埜地の集合住宅の敷地は鮎喰川が大きく湾曲する場所の内側に位置し、比較的に緩やかに南に土地が傾斜している。隣に2022年に新築された中学校、2022年に元の中学校から改修された高専と小学校とがあり、もっと足を伸ばせば町役場、工場や宿泊施設がある。その元にある建物青雲寮はRC造である。


町の人と町の材料を徹底した環境計画
建設において、大埜地の集合住宅の大きな特徴の一つは、計画、設計、施工から入居まで全て地元の人により行い、地元の材料を使ってきた。
まず、構造や内外装は全て町産材の杉・ヒノキを使い、施工を行ったのは全て町の大工さんであった。神山町はもともと戦後にスギをたくさん植えたため、森林資源が豊かだが、スギなどがちゃんと活用されず、根腐れしたままだと水域への悪い影響が出る恐れがある。より地場産材の利用が進むよう、この計画を契機に「町産材認証制度」が整備された。また、全20戸を1棟ではなく、2階建て8棟にし、工事を全部で四期に分け、4年をかけて少しずつ建ててきたおかげで、町のお金を町外に流さずに、地域内経済循環性を高められることができるし、人材育成にもつながった。Kさんの話によると、この計画をきっかけ、町に二人の大工さんしか持っていない、金物に頼らず仕口と継手で組み立てる技術(図1)が脚光を浴びるようになり、二人の大工さんもやっと弟子を受け入れるようになったらしい。
ランドスケープに関して、造成工事の敷地の嵩上げや、排水溝にもともとあった青雲寮の解体のコンクリートのガラが再利用された。鮎喰川から砂利を取ることが規制されていたため、ランドスケープを作るときできるだけ青雲寮の廃材を最大限に活用した。これを機にコンクリート建築をリサイクルする際の知見も得られた。
植栽は町内にある城西高校神山分校の生徒たちが2016年秋から周囲の山で採取してきた樹木の種から育てて成長した苗木を植えた。住戸南側の夏の暑い陽射しを遮る高木は、根回りの30cm厚さのある土を確保し、雨水が浸透しやすいようにその下に解体ガラも埋まっている。
排水の利用について、鮎喰川の川を意識し、雨水がなるべく浸透するよう共有庭や通路に浸透トレンチ、軒下の前に砂利が敷き詰められた「雨落ち」が設置された。各家庭の排水は合併净化槽と水質净化池の2段階で净化し 、川に放流する。
また、木質バイオマスボイラーで作った熱を各住戸へ供給するシステムを導入し、製材所から出るおが粉を原料に、町内で製造されている木質ペレットが燃料となる。

人の循環を意識した場所
大埜地の集合住宅の大きな特徴の一つは、入居対象を限定するところにある。家族用ユニットは高校生以下の子どもと同居している世帯に限定し、シェアユニットは40歳未満の単身者に限定する。これは、地域の子育て家族のために、一番子育て資源の良い場所を可能性のある家庭に残すためでもあり、一つ賃貸住宅の大きか革新でもあると感じた。
一人の100年人生を目標に住宅設計するのではなく、ライフステージの変化に応じ家を住み替えてゆく人々に地域で100年以上存続できる住宅を設計する。人が年取ると共に住宅が対応するのではなく、住宅の要求が先に決まって人間が流動的に変わる。持ち家の戸建住宅しかない神山町の中心地域にこのような流動性が高い賃貸住宅が出来上がるのは、町の人口密度の低減と高齢化をある程度緩和する役割を果たしているのだろう。
Kさんは第一期の入居者で、今は集合住宅から引越し、すでに神山町の戸建住宅に定住するようになった。今年で神山5年目になる。Oさんの話を聞くと、大埜地集合住宅に住むことは神山町移住のお試し期間のようなところである。県外、東京からいきなり山の中のコミュニティに参加するのが不安で、あるいは住みたいけど使える空き家の情報がない方々が、大埜地集合住宅に入居し、神山町の生活に慣れつつ定住できる場所を探す。そのため、入居者の流動性が高い。
このように、大埜地集合住宅が提供するのは住宅だけではなく、住み方・生き方・地域経済体のサスティナブルな形成の仕方まで提案するプロジェクトになった。
自由で開放的な住宅
大埜地の集合住宅の住宅の特徴は、開放性と柔軟性にある。
外部空間の特徴は、広々とした庭と軒下空間である。庭では住民が好きな野菜と植物を植えることができる。また、徳島では伝統的に日射のコントロールと作業空間に使われる、オブタと呼ばれる下屋の軒下空間がある。大埜地の集合住宅も周辺の住宅風景に合わせて、北側に深いおぶたを伸ばしている。その空間の使い方が自由であり、自転車やアウトドア道具を置いたりする家族が多い(図2)。
内部空間の一つ目の特徴は、LDK形式にこだわらず、暮らしの変化に合わせて、部屋の間取りと数を変えられる。住民に配られたルースリーフ形式の「住みこなしブック」(図5)では、DIYのやり方と制限、部屋数の変え方について詳しく書いてある。①家具で区切る、②カーテンなどを吊るす、③建具または壁を増設する。カーテンと壁を増設できるのは梁下の位置に限られる。設置方法は、「引き戸式」と「壁式」二種類ある。また、設置する場合は神山町の大工に頼むことが義務付けられる。退去時は、基本原状回復だが、個人間のやりとりで譲渡も可能というところからも、担当責任者たちの柔軟さを感じられる。
二つ目の特徴は、家族用ユニットの1階の広いコンクリート床である(図3)。キッチンとリビングを土間、ひいては外部の庭と接続することで、人々を招き入れやすい開放的な空間づくりを達成した。また、コンクリートタイルの掃除のしやすさも重要である。
三つ目の特徴は、入居者に配慮した備え付けの家具の設置である。シェアユニットを見学させていただいたところ、東京の賃貸住宅ではあまり見られない、台所の棚、玄関隣の壁上のルーター置き場、太い柱に開いているファイルと本の収納場所などが備え付けてあり(図4)、ディテールレベルで人々を思い入れる住宅だと感じた。
四つ目の特徴は、パッシブデザインと太陽光エネルギーだけで快適な環境づくりに成功したところにある。南向きの台所と居間を樹木で熱い日差しを遮り、天窓と窓で川と山からの風を取り入れる。屋根集熱・床下蓄熱を特徴とする「びおソーラー」で、夏が涼しい、冬が暖かい室内環境を作り出した。






町と地域に開かれる
このプロジェクトの重要な仕組みの一つは、入居予定の20世帯80人、元の大埜地の35世帯と同じぐらい、新しいコミュニティを作り出すところにある。併設した鮎喰川コモンが、地域を含む全ての人に開き、放課後の子供の居場所、子育て支援、コワーキングスペースとミーティングルームの機能を持っている。Nさんの話を聞くと、中学校一年生の息子は小5から不登校になり、それ以来毎日コモンに通っている。そのため毎日車で送迎すると共に、自分も毎週土曜日に手作りワークショップを開いていて、ほぼスタッフみたいな存在になっている。ワークショップで出会えた去年の秋から香川から神山町へ移住してきたTさんは、町の情報収集のためよくコモンで地域のみんなと話し合う。鮎喰川コモンは実際に町のいろいろな人々を繋げる場所になっている。
外から見れば、鮎喰川コモンエリアは住戸エリアより80cm地盤レベルが低く、風景の連続性を保ちつつ居住者のプライバシーも保護される(図6)。
鮎喰川コモンは二つの入り口を持っており、今は夏休み期間中のため、子供たちは板間か小上がり空間で子供たちは集まってゲームをしている(図7)。車椅子用トイレを土間スペースに(図8)、休憩室(図9)を板間領域に配置することで、ユニバーサルなデザインを実現する。手作りの表札から温もりを感じられる(図10)。
鮎喰川コモンの北側の象山テラスから直接川へ降りられ、南側の青雲広場から小学校と文化橋へ通じる。涼しいベンチで青雲広場で遊んでいる子供たちを眺められる(図11)。
住戸エリア内部の道は東西がストレートで、南北がクランク(図12)しているため、会話と交流の場が作りだされ、奥行きのあるランドスケープになった。








設計上の提案
車動線で子供たちが屋外で遊びにくいで青雲広場という芝生領域があるが、その領域と隣のコモンハウスより一段高い丘になるため、走りにくいのではと感じた。私がいたとき、子供たちはそこではなくおぶたで遊んでいた。もし青雲広場は段差のない平坦な芝生であればもっと子供たちが集まるはずだと思う。

感想
地産地消と外に開くバランスの維持
大埜地集合住宅を含む神山町の今まで取り組んできたプロジェクトのリサーチを通して、一番印象深かったのは公社と役場の町のもので町の環境にあった長く愛されるものを作るという姿勢である。
住宅を発注して仕事と資金を外に流出するのではなく、地域の役場と製材所、工務店互い周期をかけて作る。国際化が進んでいる中、一概的に外に開くのではなく、地域として外の技術と制度を積極的に勉強し、地元の資源と人々を守ることは文化の多様性と豊か性を守ることにも繋がる。大埜地の集合住宅計画は潜在的な町の資源と人のカを引き出し、あらゆる場面で人と人の関係をつなぐことを達成したのである。
建築側のできるコミュニティの作り方
私は今まで住宅建築が果たせるコミュニティ作りの限界に疑問を持っていた。豊かな共有施設が提供されていても、人々が主体的に周囲と関係性を作らない限り会話もコミュニティも生まれない。建築側ができることは、あくまでもその可能性が生み出せるような場所を提供するのではないだろうか。
例えば、大埜地の集合住宅の場合は、町役場と公社の積極的でこだわり抜いた地域全体の巻き込みがあるからこそ今のように緊密につながっているコミュニティがある。まず、入居者を決める際、多数希望者がある場合、面談と地域の人々による議論決定がある。また、Oさんの話によると、コミュニティ大埜地住宅には、全入居者が参面する「大埜地住宅入居者の会」のおかげで、単身シェアユニットに入居する方も子育て家族世代、ひいては地域の人々とお互い友好な関係が築かれた。週に一回入居者ミーティングでの相談・情報共有会、月に一回部落会長便の回覽、年に数回敷地共有部の除草や清掃などの共同作業と、敷地周辺に住んでいる人々との道路整備で、みんなが鮎喰川コモンに集まって話し合いをする。また、LINEグループで、作りすぎた料理や余った野菜をおすそ分けする。これらの全ては、イベントの組織とコミュニティの維持に継続的に取り組んでいる人がいるから実現できたことだ。
しかし、これは田舎のコミュニティがもともと小さいから実現できたことということも認識するべきである。逆に考えると、今は暮らし方を自由に選べる時代であるため、コミュニティと繋げることが苦手な人が田舎ではなく、東京のマンション住みを選ぶのであろう。その場合、マンションでも全部共有することが強いられると、その人たちの居場所がなくなってしまう。そういった多種多様な人々の存在を認識し、豊かなすみ方のプランを提供することが、集合住宅全体が達成するべき目標ではないだろうか。
町としての将来の課題
大埜地の集合住宅は完成されたが、神山町の歩みはまだまだ止まっていない。
集合住宅の件で子育て家族をちょっと招き入れることができたが、出生率の低さで人口減少の問題はいまだにある。Kさんの話によると、今は学校の設備を整えて、子育てするのにいい教育資源を整えることに力を入れている。今年新築の神山中学校と中学校よりリノベされた高専に加え、「森の学校みっけ」というオルタナティブスクール形式の小学校で徳島県内ひいては県外の人を吸引する。みっけを目当てにわざわざ県外から引っ越してきた家族もいるという。また、未解決な問題として、空き家問題と不動産屋の欠如がいまだに大きい。農地の面積を保護するため、新築することがほぼできないが、空き家を手放さない・そもそも資産所有者が行方不明なところが多く、改築するにも手を出せない。それを改善するべく「神山町空き家相談窓口」が設立された。これからも空き家がどんどん活用されていたら、もっと移入者が増えるのだろう。
町産材の問題に関しては、集合住宅計画をきっかけにやっと杉の根腐れ問題が町の人々に意識されるようになった。つまり、「イン神山」の記事や神山町の宣伝は、外部向けだけではなく、地域の人々に自分の住んでいる場所をもっと知ってもらうことにも役立つということだ。集合住宅の入居者に全員配られた、細かく神山と大埜地の歴史を書き込まれた「HOUSE BOOK」(図5)を思い出すと、連帯感の高いコミュニティを作るのにはまず自分達の土地をよく知ることが鍵だと感じた。話を杉に戻すと、「町産材認定制度」を立てたかといって、建設業の木材の消費スピードが遅いため、大半の杉がいまだに活用されていない。町民が電力ではなく、木質バイオマスを使ったら資源がよく循環するが、かといって急に地域全体が木質バイオマス使い始まったら、スギを切る人手がまた不足し始める。何事もゆっくり進めるしかない。
さらに他の地方に視野を広めると、対比によってどうして神山町のように地方創生がうまく進まない理由が垣間見える。この集合住宅の計画を進めるのに当たって、先例と専門知識のなさが難点となり、公社と役場の人々が全部一から調べ、2015年ぐらいから始まった地方創生政策のお金をうまく活用できるのが、結局もともとそういった取り組みがすでにある地域で(例えば、神山町の場合「イン神山」が動き出したのが2008年)、他の地方創生の進め方がわからない、専門家がいない地域で、結局コンサルティングに頼んでしまう。もっと都会から地方をよくしたいと意欲的に動き出す専門家がいたら、地方創生も全国レベルにもっと進むのであろう。
参考資料
CONFORT No.186: 2022年8月号. (2022).
建物や間取りのこと. 神山町役場. 2022年7月29日, http://www.town.kamiyama.lg.jp/co-housing/
「住まい方」を変えると、地域の可能性が見えてくる。 〜徳島県・神山町「大埜地(おのじ)の集合住宅プロジェクト」〜「生活圏2050プロジェクト」 #05(前編) |博報堂WEBマガジン センタードット. 2022年7月29日, https://www.hakuhodo.co.jp/magazine/53654/
住む 特集 つながる家 (2021年春). (2021).
新建築: 2021年8月号. (2021).
徳島県神山町、町の人、材、自然で作られた「大埜地住宅」が生み出したもの、乗り越えた課題とは?. (日付なし). 住まいの本当と今を伝える情報サイト【LIFULL HOME’S PRESS】. 2022年7月29日, https://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_01000
(注:出典の明記していない写真は全部Sunshineによる撮影である。)
- Author:Sunshine Yang
- URL:https://gesnimbar.studio.site//article/c125b2a5-60b0-4a77-9678-75c359bb43e5
- Copyright:All articles in this blog, except for special statements, adopt BY-NC-SA agreement. Please indicate the source!
Relate Posts